新編荷田春満全集


<鶴岡八幡宮機関誌『悠久』10月号掲>

書評:新編 荷田春満全集編集委員会編

『新編 荷田春満全集 第一巻 書入本『古事記』』

松本久史(國學院大學日本文化研究所助手)

『新編 荷田春満全集』の刊行開始は、まさに待望の、というべきであろう。荷田春満と聞いて、多少関心のある方々でも「国学の四大人」の一人、もしくは『創国学校啓』を書き、幕府に国学の学校を作るように上申した人物といったことくらいしか連想されないように、真淵、宣長、篤胤と比べて、具体的な業績に対する言及は非常に少ないといってよい。私自身、神道学の立場から春満の研究をしているが、先行研究の少なさを痛感している。春満が死に臨んで自分の著述を全て焼き捨てさせたという伝承が残っているように、近世では春満の著作で知られるものは僅かであった。戦前の二回にわたる全集編纂事業により、その一部は刊行されたが、事業の中断などもあり、重要な著作の多くが未刊行のまま残されていた。

このような現在までの経過の中で、「国学」をその名に冠し、建学の精神とする國學院大學の創立百二十周年記念事業として、『新編 荷田春満全集』刊行が平成十三年に決定し、文学部長の青木周平教授を委員長とする編集委員会が立ち上がり、刊行事業が開始された。望外、私も編集委員の一人に加えさせていただいた。編集作業を進めていくなかで、春満を御祭神とする京都の東丸神社のご好意により、所蔵される春満の自筆原稿類を閲覧・調査することができ、それらを全集に収録することが可能になった。これも全く予想外の嬉しい出来事といってよかった。まさに名実ともに『全集』にふさわしい体制が整ったといえよう。

本書は、國學院大學図書館所蔵の武田祐吉博士旧蔵本、春満訓書入れ本『古事記』をカラー写真版で全文掲載したものである。担当された中村啓信先生(國學院大學名誉教授)の要を得た解題を一読すれば、その価値を理解していただけるが、あえて蛇足として紹介させていただきたい。最初にこの書入れ本の学問的意義を高く評価されたのは中村先生であり、その成果は『荷田春満書入古事記とその研究』(高科書店 平成四年)として結実している。真淵・宣長の弟子である三河国吉田の神職、鈴木簗満の門人、大林(源)吉賢が安永三年、寛永版板本『古事記』に書写したもので、春満の門人杉浦朋理が享保十三年、師説による訓を朱筆で書入れた本を祖本とする。春満の古事記研究は従来、『古事記箚記』(『荷田全集』第六巻所収)のみが知られているだけで、必ずしも明確ではなかった。この書入れ本の学問的価値は、真淵から宣長へと古事記の訓が伝えられ、宣長の『古事記伝』によって大成されたという古事記研究史における定説が、遠江国を中心とする春満の学統を受けた門人に『古事記』の訓が伝えられ、春満から真淵へという影響関係、さらには宣長も春満説とは知らずに一部を受容している点が示唆されることで再考を求められていることが挙げられよう。つまり、「四大人」は門流の継承とともに学問上でも貫かれていたのである。本書では朱筆の書入れもそのままに、全文をヴィジュアルに把握することができ、古事記訓読の継承の学的営みが、あたかもその息遣いまで伝わるように感じられる。

記念すべき第一巻目である本書は、「神典」としての『古事記』訓読の現代へとつながる原点を余すことなく示しており、神道・国文学の研究者のみならず、広く古典・国学などに関心のある方々にもお薦めしたい。なお、春満学の全貌の解明へ向けて、第二巻は日本書紀神代巻の講義録を中心に、祝詞式解釈及び、春満の神道説で重要な位置を占める「神号伝」関係の著述を含めた神道説を中心とした構成、第三巻も日本書紀関係を収録するが、訓み(仮名書き本)、歌謡説を中心とし、『出雲国風土記考』を含めた構成となる予定である。この二巻は春満をはじめとする荷田派の日本書紀解釈を理解する必須の資料となろう。現在、編集委員一同、鋭意編集作業を進めていることも併せてご報告したい


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